EPIC WAR

HISTORY X

William Wallace


Chapter 1:Wallace Brave

ィリアム・ウォレスは1297年、スターリング・ブリッジの戦いで英国軍に歴史的な勝利を収めた。
スコットランドの総督であるアンドリュー・マリーに協力するという形での戦闘だったが、彼の名と勇敢な戦いぶりはスコットランドの国中に鬨の声の如く木霊した。ウィリアム・ウォレスは平民出身の戦士で、スコットランドの愛国者だった。このウィリアム・ウォレスの英国への反逆は、今まで残虐非道な英国王エドワード1世(通称"長脛のエドワード")の横暴に耐え忍んできたスコットランドの民に勇気を与え、やがて独立への戦いへと駆り立てた。死か栄光か。彼らは母国と、そして長年英国に剥奪されていた自由を取り戻すため、スコットランドの民族が先祖より好んだ長剣と円盾タージェを手に取り戦った。スコットランドの戦士に古くから伝わる勇猛果敢なハイランド人の血が、甲冑で身を固めた強大なる英国兵に立ち向かう"勇敢なる心(ブレイブハート)"を戦場で彼らに分かち与えた。誇り高きスコットランドの戦士達は、スコットランドの独立という一つの理念の下に団結し、英国に立ち向かったのだった。ウォレスが始めた戦いは熾烈を極めたが、神はこの心底真っ直ぐな愛国者に微笑んでいた。最も、それは始めの内だけであったが…。

ターリングでの大勝利に続き、スコットランド軍は英国軍に対して劇的な勝利を重ねた。
ノーサンバランド、次いでカンバランドがウォレスの率いるスコットランド軍の餌食となった。同年の1297年の内に、スコットランド軍は英国に占領された領地の大半を奪い返した。この蛮勇な行為は無論、ウォレスによるところが大きかった。ウィリアム・ウォレスは、スコットランドに伝わる伝説的な戦士ハイランダーを象徴するような驚異的な功績で、次のスコットランド王と名高いロバート・ザ・ブルースから騎士と「スコットランドの守護者」の称号を受け取った。彼はスコットランドの真の英雄であった。


Chapter 2:Shadow of Scotland

ォレスという男については様々なことが伝えられている。
しかし果たしてそれが事実なのか嘘なのか、誰も答えを知る者はいない。彼は本当は貴族の出身だとか、殺された恋人の復讐のために戦いを始めたとか言われているが、真相は闇に葬り去られた。なぜなら、「歴史とは常に英雄を葬った側から書かれる」からだ。そう、スコットランドの勝利も長くは続かなかった。

ォルカークの戦いは、1298年に勃発した。
この戦いでウィリアム・ウォレスは英国軍に大敗を喫する。賢い長脛のエドワードはウォレスの必勝法であるシルトロンに対し、ロングボウ大隊の凄まじい一斉射撃によって、殆ど損害を被ることなくこれを打ち破ったのだった。英国王エドワード1世は、残虐だが優れた王であることに変わりはなかった。この大敗をきっかけにしてイングランドは再び勢力を盛り返し、スコットランド軍は徐々に力を失っていった。だがウォレスは諦めなかった。その後もウォレスは独自にゲリラ戦を展開し、母国の独立のために戦い続けた。彼の真鍮作りの簡素な長剣が、一体何百人の英国兵の血をすすったことであろうか。しかし1305年、遂に彼も神に見放された。愛するスコットランドの本の一握りの邪悪な貴族らによって裏切られたウォレスは、グラスゴーで英国兵に反逆者として捕らえられ、8月23日のロンドンにて処刑された。そのやり方は"四つ裂き"という、極めて残虐な方法であった。彼の分断された四肢の内、頭はロンドン橋の上に晒された。ウォレスの死刑は、スコットランドの民のすべてに、見せしめとして行われたのだ。


Chapter 3:Highland Glory

ィリアム・ウォレスは死んだ。
英国には反逆者、スコットランドには英雄として。しかし物語はここで終わりではない。ウォレスは肉体としては死んだが、彼の自由を求める精神は残されたスコットランドの民に受け継がれた。スコットランドでは誰もが彼の行為のすべてを讃え、また涙した。ウィリアム・ウォレス、彼は本当の人生を送った数少ない人間の一人だった。英国軍は彼から命を奪うことはできたが、彼の自由を奪うことはできなかったのである。ウォレスが常に掲げた"スコットランドの独立"、それは必ず成し遂げなければならないものであった。そのウォレスの崇高な精神は、人脈が集まりつつあった後の王、ロバート・ザ・ブルースにも受け継がれた。ロバート・ザ・ブルースは一時は英国側についたりと、母国スコットランドに対して不鮮明な部分があったが、もはやスコットランドのためにしっかりと信念をもたなくてはならなかった。ブルースは1306年、ロバート1世として王位を宣言したが、失敗し北アイルランド沖のラスリン島に逃れた。その時洞窟で、「蜘蛛が巣を破られても、何度も張りなおす」のを見て、再起を決心したのだった。その決心とはスコットランドの民を王としてまとめ、英国に対して独立のための最後の戦いを行うことであった。そしてスコットランドにとって絶好お機会が舞い込む。1307年、スコットランドを苦しめた英国王エドワード1世が病死。後に王座に就いエドワード2世が、戦術と知略に富んだ前王よりも劣っていたのは誰の目にも明らかだった。スコットランドはブルースの下に再び団結し始め、独立に大きく踏み出すこととなった。ブルースはウォレスの展開したゲリラ戦を受け継ぎ、時間をかけて確実に弱体化した英国の拠点を押さえていった。遂に1310年には、ロバート・ザ・ブルースが正式なスコットランドの王として、全スコットランドの民に認められるに至ったのである。

して1314年、物語は終わりを迎える。
ブルース率いるスコットランド軍はバノックバーンにて、約3倍もの数の英国軍に対峙していた。この時、英国王エドワード2世はスコットランドを更に侵略するべくスコットランドに猛攻を仕掛けてきた。英国軍の騎士らは上手く統制がとれていなかったが、しかしおよそ25000人の大軍は集結したスコットランド7000人の勇士達にとっては圧倒的だった。しかしスコットランドの戦士達は死など恐れてはいなかった。母国の独立のためなら、死など彼らにとっては安かった。バノックバーンの原野に立つ彼らの雄姿は、本当の意味での愛国者だった。そう、かつてのウォレスもそうだったのだ。このスコットランドの人達の英雄的な行為、思いは比類なき戦士としての勇猛果敢さを生み、数でははるかに上回る英国軍を相手に善戦した。そして遂に、長き戦いの末、スコットランドは6月24日ここバノックバーンにて、英国軍に勝利したのであった


Epilogue...

我々は富のためでもない、栄光のためでもない、自由のために戦っているのだ
スコットランド王、ロバート・ザ・ブルースはこう言い残した。この言葉にはウォレスの精神が息づいているのが分かる。英雄ウィリアム・ウォレスが1297年に始めたスコットランド独立戦争は、1314年のロバート・ザ・ブルースのバノックバーンでの勝利で幕を閉じる。1314年、スコットランドは遂に自由を手にしたのである。

 

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