The History Of Virgin Steele

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Underground 


virgin steele

「ローマという帝国の滅亡を通し、如何に偉大な文明や国家であれ、何れは必ず失われる。されど、真に素晴らしいものの精神は永遠に語り受け継がれていくであろう」

"The Burning Of Rome (Cry for Pompeii)"より

数多くある叙事詩的なヘヴィメタルの中で、彼らの辿った道は一つの歴史に値し、古典的で厳かではあるものの、野蛮で波乱に満ちたものであった。


Act 1:エピックメタルの創世記にて

 ヴァージンスティール──後にエピック・メタルという分野を確立させ、その歴史を形作っていく偉大なヘヴィメタルバンド──は、アメリカのニューヨークでデヴィッド・ディフェイ(Vo)とフランス出身のジャック・スター(g)を中心に結成された。80年代初期、輝かしいロック・スターの影に隠れ荒廃しきった地下世界で多くのヘヴィメタルバンドが結成された。ヘヴィメタルがこれらの世界で長く生きながらえているように、彼らも同じ道を辿った。ここからヴァージンスティールの歴史が始まった。 初めて制作されたヴァージンスティールのアルバム『Virgin Steele』は1981年に発表され、この頃のサウンドはハードロック的な曲を多く有していた。バンドの初期には、ジャック・スターの個性が色濃くアルバムに打ちだされていた。続く1983年発表の『Guardians Of The Flame』 も似通った内容であり、時折ジャック・スターの個性的なプレイが耳を惹いたが、僅かながら彼らの初期の作品に混入されたエピカルな要素を見逃すこともできなかった。デヴィッド・ディフェイによる古典的なキーボードの旋律、異国的な官能的雰囲気、野蛮な高揚感、厳かさ。後の彼らが開花させるエピックメタルの花々しい要素は、既にこの頃産声をあげていた。しかし、まだディフェイの特徴的なヴォーカルも未熟であり、バンドのサウンドも安定して聴けるものでは決してなかった(もちろん彼には才能がなかったわけではない)。初期の彼らは、1995年頃まで、こういったアルバムをリリースし続けていった。1986年に発表された第3作『Noble Savage』では、ディフェイとの音楽性の違いを理由にジャック・スターが脱退し、後にディフェイの右腕となるエドワード・パッシーノ(g)が加入した。ヴァージンスティールの結成に貢献し、支えてきたジャック・スターが望んだ音楽性はよりストレートなロックであり、ディフェイの追求する叙事詩的な音楽性とは相いれなかった。これより以後、ヴァージンスティールはディフェイの描く神話的な世界観を強調するようになった。それを示すように、本作は音楽的にも大きな飛躍を遂げ、従来のヘヴィメタルとは異なる部分を強烈に主張していた。"エピック・メタル"と形容されつつあった大仰で英雄主義的な楽曲を更に煮詰め完成に至ったのである。タイトル曲の"Noble Savage"は、ヴァージンスティールの新たな歴史の幕開けを決定付けた。この頃から、遥か昔に古代のギリシアやローマで息づいていた芸術的な歓喜が、彼らの楽曲に現れるようになってきていた。ヴァージンスティールは変わり始めていたのだった。1988年10月に発表された第4作『Age of Consent』は名盤と呼ぶ声も多々あった。本作に収録された"The Burning of Rome"という圧倒的でヒロイックかつエピカルな名曲は、ローマの陥落を通して永遠の栄光を後世に語り継ぐという隠されたテーマを担っており、エピックメタルという一つの分野に秘められた歴史の真実を暴く鍵、人間の潜在的な精神をも仄めかしていた。残念なことに、作品の全体としては無駄な部分が多いことは否めず、後半の構成の悪さが際立った。アルバムの構成に加え、曲の統一感も欠けていた。当時、流行の音楽性にシフトすることを強いられたディフェイの僅かな迷いと葛藤が、このような形となって、故意ではないにしろ、アルバムに現れたのだった。本作に表現された時に野蛮で魅惑的な音楽性と叙事詩的な詩の内容、この部分だけを1つのアルバムとして完成させることが可能であるならば、歴史的なエピックメタルアルバムが出来上がることは間違いないと誰もが感じていた。しかし、ファンの期待も虚しく、本作発表後にヴァージンスティールは活動休止を発表した。マネジメントにより音楽性が揺れ動いたとのことだった。ようやく彼らの新作が発表されたのは1993年3月。しかし、ファンが仰いだ暗雲は、第5作となった本作『Life Among the Ruins』で明るみに出た。コマーシャルなロック・ナンバーと軽快なブルーズ・ソングに代表される本編の作風は、ポップ化したとさえ言われ非難された。本作は、ディフェイが決して失敗作と見なしているわけではなかったが、多くのファンはこの作品に対して不信感と疑問を抱かざるを得なかった。本作を非難されるのは、ディフェイが最も尊敬し影響を受けているバンド、レッド・ツェッペリンに習った自らの原点を否定されたのと同様だった。多くのヘヴィメタルバンドがそうであったように、ヴァージンスティールも時代という無情なる濁流に呑まれ、人々の記憶から忘れられていく運命なのか。才能と、限られた者にのみ訪れる神の信託のような一瞬の閃きは、ヴァージンスティールが元々持っていたものだった。きっかけが必要だった。第5作発表後の僅かな間に、ディフェイの中には何かの"変化"が訪れた。もしそうでなければ、これより後の出来事に説明をつけることができない。ヘヴィメタルという、地下で忘れられた者たちの世界に差し込む一筋の天の光に、ディフェイは気がつき、それを手繰り寄せたのだ。ディフェイの中に眠っていた潜在的な才能は、人跡未踏のエピックメタルを完成させ、叙事詩的な世界の門を開くためのものだった。デヴィッドのヘヴィメタルにかける情熱、内に秘められた才能、それは底を知らなかった。そして、全く新しいヴァージンスティールの作品が発表された1995年に、全ては変わった。

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