EPIC WAR

HISTORY T

Battle of Hastings(in 1066)

説的なヘイスティングスの戦いは中世英雄時代の本格的な幕開けであった。
1066年イングランドのヘイスティングスのバトルの丘での戦いは叙事詩的に残されている。デンマークの強大なる大王クヌートの死後、イングランドでは強力な諸侯らが群雄割拠し混沌としていた。そんな中、ゴッドウィンの息子ハロルドが諸侯らに擁立されて王位に就きハロルド2世となった。かくして、物語は幕開ける。フランス北部のノルマンディーでは、より古い暗黒の時代に北欧からやってきたヴァイキングの末裔らが強大な国家を打ち立てて久しかった。この地でヴァイキングの末裔らは勇猛果敢な武勇譚と鋭い鋼鉄の刃を未だ有していた。これら北欧の先祖より受け継いだ国家を一層強大とした者がいた。かの者は勇士ギヨームといった。ギヨームは豪胆なるヴァイキングの王ロロの末裔であった。エドワードからイギリス王位の継承を約束された、とギヨームは言い放った。戦いの信託が訪れ、ギヨームは兵を集い始めた。やがてギヨームのもとには、勇猛果敢なノルマン騎士らおよそ6000人が集まった。皆、英国の歴史に新たな風を吹き込むという偉業に賛同し、北欧の戦士特有の気高い勇気を奮い立たせていたのであった。来るべき1066年、ギヨームの率いる大軍はイングランド南部のヘイスティングスに上陸した。かつてヴァイキングの勇士らが諸王国をロングシップで襲撃したように、軍隊の戦船はバルト海の荒波の如く湾に押し寄せた。重厚な甲冑とカイトの盾で武装した荘厳な軍隊の闊歩する喧騒が、戦いの原野を突き抜けバトルの丘にまで轟いた。対立するイングランド王ハロルド2世は、およそ7000人もの強力な勇士らを率いてギヨームとその軍勢を迎え撃つこととなった。ハロルドは既に直前の戦いで、イングランドに侵攻したノルウェー王ハーラル3世スタンフォード・ブリッジの戦いで破っていた。かの王は自らの即位に反旗を翻し、ハーラルに味方した弟トスティ・ゴドウィンソン諸共惨殺したのであった。かくも勝利を収めたハロルドの軍勢はバトルの丘に続き、これを察し同じくバトルの丘に集結したギヨームの軍勢と遂に直面した。かくして中世史に残る、伝説的ともいえる戦いが起こることとなったのである...

高いバイユーのタペストリーには、この伝説の結末が描かれている。
絵には、目を矢で貫かれるハロルド2世が描かれた。この戦いでハロルド2世は死に、ギヨームの軍勢は勝利を収めた。そして、新しいイングランドの王が誕生した。歴史的に初めて、ノルマン人がイングランド王に即位した。これはあまりにも偉大なことであった。北の凍てつくフィヨルドの中で生まれ育ち、戦いに明け暮れたヴァイキングの末裔が、終ぞ一国の王となった伝説──これらは事実として記される。以後、ギヨームは新たにウィリアム一世と名乗り、正式に王冠を授かった。ここに、ノルマン人の時代、ノルマン朝が始まったのである。それは遂に、300年に渡り続いてきたヴァイキングの時代が終わりを告げ、中世の勇士らが活躍し、幾多の叙事詩を残すこととなる、中世英雄時代の真の始まりでもあった。最後に、この英雄伝説はノルマン人による征服「ノルマンコンクエスト」として、永遠に中世の史実の中で語り継がれることとなったのである。

 

 >>HOME...

Copyright (C) 2009-2010 METAL EPIC JAPAN All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system